フィッツロイの天気管 ストームグラス

フィッツロイの天気管 ストームグラス

ロバート・フィッツロイ(Robert FitzRoy)と聞いて思い出すのが、「ビーグル号の3人 - 艦長とダーウィンと地の果ての少年 -」というリチャード・L・マークスの著書である。
このビーグル号に、かの有名な「チャールズ・ダーウィン」を乗船させガラパゴス諸島の航海に向かった。フィッツロイは第二回目の航海の艦長を務めていた。

フィッツロイはこの探検航海に、"ストームグラス"を使って変化の記録を残していった。
"ストームグラス"は、この時代に航海の天気予報の道具として使われ実用化を目指したところが、フィッツロイが気象学の開祖と言われる由縁である。

ロバート・フィッツロイ(Robert FitzRoy)

また、この航海はのちに"ダーウィン"によって「種の起源」で発表される。その内容を簡単にいうと「進化論」ということになるのだが、今風に言えば「ガラバゴス化」といったほうがピンと来る方が多いかもしれない。

フィッツロイの最も重要な科学的貢献は、1851年、現在の「気象庁」にあたる気象データ収集のために新設された部門の局長となり「すぐ先(未来)の天候を知る」という、当時では先進的な天気予報の基礎作ったとされる。

結晶で判断する天候予測

1863年に出版した「Weather Book」には、気圧が上昇すると嵐の指標(前兆)であると確信して「天候の予測(天気予報)」という用語を作っている。しかしながら、その予報のシステムは港からその予報だけで船を出すことを妨げるとして漁船のオーナーや政府から超越した考えと非難されていた。

これらの圧力によって彼の死後、湾岸の気象データ収集設備が放棄されたことでも、当時の気象予報の難しさがわかってくる。

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